今から23歳の振り返りをする。
つい10分ほど前に24歳になったので
数日前まで、自分への誕生日プレゼントは何にしようかと考えていたが、この一年こそが自分への誕生日プレゼントだったんだと確信するほど、完璧な一年だった。
悔いもなく、未練もない。不安もない。
今ふわふわの布団の中で、満腹の腹で、シャワーを浴びたあとの清潔な気持ちで、大好きな執筆という形で、一年の振り返りができることがまず幸せだ。そして思いがけずたくさんの人に祝ってもらえて、とんでもなく幸せだ。誕生日を誰かにあらかじめ覚えていてもらって、祝ってもらえたのは本当に何年ぶりだろうか。本当にうれしい。ありがとう ありがとう ありがとう
ここからはつらつらと、この一年間で気がついたことを書く。
私は、これまでずっと自分じゃない誰かの人生を歩んでいるみたいだった。本当のことを語っていても、嘘をついているみたいで、罪悪感と後悔でいっぱいだった。私の考えも、セクシャルも、家族愛も友情も、生きながらに死んでいた。ずっと私の四肢は不自由で、どんな人と一緒にいても、手は繋いでもらえないのに、首輪は付けられたような感覚だった。何一つ自分で決められなかった。あるいは私だけが、物事を決定することを法律で禁じられていた。
けれど本当はもっとずっと我武者羅に生きたくて、お金が無いので明日の生活も分からない、常識も作法も全部忘れて、肉欲に溺れ、敵も味方も作らない自由な人間関係とそれに付随する最高の創作活動こそが人生そのものでありたかったんだ。
あらためて大人であることも自覚して、私を育てた人間に悪い人は一人もいなかったとも思う。母は完璧だった。それがどんな風に私をコントロールすることになろうとも、一生の呪いになろうとも、一人の人間の人格をねじ曲げるほどの愛情があった。私の中に最初からあったであろう異常性や加害性、その全てに蓋をしてくれていたのは母の完璧な愛のおかげだった。本当に愛されていたことを今更知った。
同時に自覚すればするほどに乖離していた自我と融合する感覚は快楽そのもので、私はこのまま誰も手を付けられない思考の化け物になってしまったらどうしようと考える日もあった。けれど、もしそういうところまでなれるならそうなってしまえばいい、ということで決着がついた。化け物になってしまったら化け物と付き合って、化け物を食って、化け物を飼い慣らす仕事をして生きていけばいいだけの話だ。
この1年はたくさん文を書けた。たくさん歌を歌えた。たくさん本を読めたし、たくさん一人旅ができた。きっと遺書の欠片を集める旅をしているから、言葉をたくさん記して、最後に書く文はこれまででいちばん丸いと思えた素敵な言葉でいっぱいにしたい。人生の最後の最後で最高の日記を書きたい。きっと他人はそれを遺書と呼ぶし、私もそれがどう呼ばれようが納得するだろう。あるいはもう死んでいるからどうでもいいだろう。そのくらいクレバーに生きたい。
24歳の目標とか、挑戦してみたいこととかは語らない。やってから報告する。やったあとは誰かに言わないと気が済まない。私はこんなことをして、こんな風に変わった!ということを、全国の茶の間のTVで流してほしいくらい人に伝えたくなる。だから必ず報告するので、安心してほしい。素敵な趣味を見つけて独り占めにできるほど寡黙なタイプでは無い。
贅沢にも私は夜明けの緑をさまよっている。大好きな小説なので、あの日執拗に追いかけてきた女と一晩くらい一緒に寝て、全身ドット柄になる性病患いの女として、アホな物語の主人公になってみるよ。