存在しない喫茶店のレビュー

 

京都の新京極通りから賑やかしい錦市場をずっと抜けて、15分ほど北へ上がると右手に薄暗い石畳の路地が出てくる。(薄橙色のモダンな石畳、ホオノキが生い立つ。5月頃には白い花を咲かせている。)路地の入口には婦人服を扱う気まぐれな店主の店があり、さらに奥へ進むと廃墟、そして突き当たりに古びれた小さなアトリエがある。

アトリエの名前は「Rosa Bonheur」 、フランスの男装動物画家、ローザ・ボヌールの名前を借りているらしい。アトリエの主人は9歳の時に日本へ。25歳で京都芸大を卒業したあと、その独創性が評価され、32歳の時にはイギリスで個展を開いた。ただし彼は飽き性で、最近だと筆を置いて、一日中豆を挽いているのだとか。

 

アトリエの中は、空き巣にでも入られたかのようだった。そこかしこに彼の芸術作品が並べられているが、観葉植物のフィカス・ウンベラータがそれを隠すように置かれている。平日だからだろうか、私以外に客はいないようだ。主人の低く不気味な声に従って、赤い一人がけのソファに腰掛けた。

テーブルはブラウンのシックなデザイン。けれどかなり古びれている。所々に傷がある。紙ナフキンとソルトが乗ったトレイを退けてみると、そこには「His paintings are odious.」  あいつの絵は憎らしい と刻まれていた。足元には彼が途中で投げ出したのであろう描きかけのキャンバスと筆が落ちていて、それが踝にあたっている。

 

いつの間にか背後にいた主人が、ぶっきらぼうな文字でメニューが書かれている羊皮紙を、何も言わずにテーブルに広げ、こちらをじっと見つめている。改めて見ると先生はお美しい。胸のポーラータイは、光の加減によって緑青色にも百緑にも見えた。

メニューは至ってシンプルだった。私はオリジナルコーヒーであろうカフェ・ボヌールと、フルーツサラダをオーダーした。主人はフルーツサラダを作るのは面倒だったのか、さぞかし不愉快そうに私を睨み、深緑色のカーテンの奥へ消えていった。

 

15分くらい経っただろうか。この歪な空間にいることにも慣れてきた頃、慌ただしいキッチンの音がやんで、主人がプレートを運んできた。私の前にコーヒーと、フルーツサラダ(勝手にオムレツプレートになっていた)を置き、ルシュを渡してきた。ここはフランス式なのね、私はその場でお金を払った。2400円と、まあぼったくりだ。主人はルシュを破ると、古時計の前のソファに腰掛けて、新聞を読み始めた。

 

オリジナルコーヒーは、美味しいとも不味いとも言えない味だった。こういうことをわざわざレビューに書くのはどうかと思うけれど、正直、普通。オリジナルというより、どこかで飲んだことがある、少し濃いめのエスプレッソ。

フルーツサラダ──が盛られたオムレツプレートの方は美味しかった。オムレツを食べる気なんてさらさら無かったけれど、これをメインに私はここまで来たのだと胸を張って言えるくらいには、絶品だった。ただ3口ほどで食べ終わるほど小さかったけれど。

それに肝心のフルーツサラダは、無味だった。

 

私は食べ終わると合図をして店を出た。店を出る直前に、もう絵は描かないのかと聞いてみたけれど、彼は眉をひそめて私を急かした。来週末もここへ来よう。その時はオムレツを頼もう、そしたらきっとカツサンドとかが出てくる。